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シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

訓練

金の香炉に入った聖徒の祈り



テーマは「 金の香炉に入った聖徒の祈り 」です


【ヨハネの黙示録8章1-5節】

小羊が第七の封印を解いたとき、天に半時間ばかり静けさがあった。

それから私は、神の御前に立つ七人の御使いを見た。彼らに七つのラッパが与えられた。

また、もうひとりの御使いが出て来て、金の香炉を持って祭壇のところに立った。彼にたくさんの香が与えられた。すべての聖徒の祈りとともに、御座の前にある金の祭壇の上にささげるためであった。

香の煙は、聖徒たちの祈りとともに、御使いの手から神の御前に立ち上った。

それから、御使いは、その香炉を取り、祭壇の火でそれを満たしてから、地に投げつけた。すると、雷鳴と声といなずまと地震が起こった。


聖徒たちの祈りはどのように天の神の所に届くでしょうか。


全世界のあらゆるところから聖徒たちが神に祈りをささげています。

すると聖徒たちに仕える御使いたちが祈りを集めて、金の香炉に香の煙とともに神の所にもっていきます。



神は聖徒たちが嘆きや苦しみの中でささげる祈りをすべて覚えておられます。

そして祈りに答えて下さいます。



迫害や試練の中でささげる祈りは切羽詰まった祈りが多いし、答えを急ぎますが、答えが遅い時に失望する聖徒が多いです。

自分の祈りが聞かれていないと嘆きます。


神様は聖徒の必死の訴えも知っておられます。



【ヨハネの黙示録6章9-10節】

小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。

彼らは大声で叫んで言った。「聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。」


しかし祈りを聞いておられる神様は 神様が決めた時に、必ずさばきを行います。



【ヨハネの黙示録8章13節】

また私は見た。一羽の鷲が中天を飛びながら、大声で言うのを聞いた。「わざわいが来る。わざわいが、わざわいが来る。地に住む人々に。あと三人の御使いがラッパを吹き鳴らそうとしている。」


神は聖徒の祈りを大事に思う方です。


そして祈りを聞いて下さる方ですから、いつでも神に祈りをささげましょう。

祈りこそがすべての問題を解くカギになります。


2023.7.23
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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母のような聖霊



テーマは「 母のような聖霊 」です


【イザヤ書66章12-14節】

主はこう仰せられる。「見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、あふれる流れのように国々の富を与える。あなたがたは乳を飲み、わきに抱かれ、ひざの上でかわいがられる。

母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、エルサレムであなたがたは慰められる。

あなたがたはこれを見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように生き返る。主の御手は、そのしもべたちに知られ、その憤りは敵たちに向けられる。」

父なる神、イエス様、聖霊は三位一体の神ですが、役割やイメージは全く同じではないですね。


すべてを知ることは出来ませんが、聖書を読みながら感じるのは 父なる神様は権威ある創造主、イエス様は救い主で優しい良き羊飼い、そして聖霊は母なる神を感じます。


人間の姿で来られたイエス様は救いを完成して天に帰り、聖霊を遣わして下さいました。

信じる者と共に住み、いつでもどこでも私たちを導き、守る母の働きをしておられます。



本文にある神の姿は聖霊の姿です。

子のために献身的に仕える母の姿です。


聖霊は幼子を育てる母親のようにすべてに関心を持ち、いつもそばで静かに見守り、慰め、励まして下さる方です。



幼子には父親がいても母親ほど一緒にはいないです。

子のことを一番よく知っているのは母親です。


聖霊は母のように私たちを誰よりも知って助けます。

また正しい道に導きます。



人が生まれ変わるのは聖霊の働きです。

生まれ変わった者を育てるのも聖霊です。


どのように生きるべきかを教えます。

優しく教え、導きます。



間違った時には試練を与えても正しく歩むように訓練します。

慰めや勇気が必要な時に助けて下さいます。


私の弱さ、痛み苦しみも理解し、力になって下さいます。



私たちの人生で母のような聖霊が一番必要な方です。


ですからイエス様が私たちの益になるように聖霊を送って下さいました。


2023.6.4
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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なぜ神は聖書を与えたのか



テーマは「 なぜ神は聖書を与えたのか 」です


【ヨハネの福音書1章1節】

初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。


本屋に行くと当然そこには多くの本があります。


一番目立つ所には新刊と人々が興味を持つ本です。

料理や趣味の本、雑誌が前にあり、専門的な本は後ろにあります。


人々は知識を得るために本を買います。



聖書も本ですが、どんな知識を人々に与えるでしょうか。


神様に関する知識を与えるのが聖書です。



他の本はすべて人間の知識や経験から書いたものですが、神を知るための知識は 人間の経験から始まることがないので、神ご自身が聖霊によって動かされた人たちを通してことばを送り、40人の著者によって書かれました。


神の口から出ることばが真理なので、神の口から出たことばが書いてある聖書こそ 真理の本です。



約1500年の間に旧約39巻、新約27巻が書かれました。

聖書66巻は、神を知り 人間が救いを得るのに不足がない本です。


私たちが神を正しく知り、惑わされず、真理の中を歩むためにはいつも聖書を読み、学ばないといけないです。



【第2テモテ3章14-17節】

けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、

また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。

それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。


2023.5.21
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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苦難を受けなさい



テーマは「 苦難を受けなさい 」です


【第2テモテ1章8節】

ですから、あなたは、私たちの主をあかしすることや、私が主の囚人であることを恥じてはいけません。むしろ、神の力によって、福音のために私と苦しみをともにしてください。


聖書には苦難ということばがたくさん出てきます。

しかし同じ意味ではないです。


大きく分けるならば、刑罰としての苦難、懲らしめとしての苦難、訓練としての苦難、自発的な苦難、神の摂理の手段としての苦難があります。

意味のない苦難はないです。



パウロが受けた苦難は、神の摂理の手段としての苦難です。


ヨセフやモーセ、ヨブなどは、神の摂理の手段としての苦難を受けました。

主の十字架もそうです。


最初から神が決めた摂理があったので、苦難の道を歩みました。



主が私たちに『苦難を受けなさい』と言われた時に、私たちが受ける苦難は 訓練としての苦難、自発的な苦難、神の摂理の手段としての苦難です。


この苦難には良い約束と良い報いがあります。


ですから神は『苦難を受けなさい』と言われました。

将来に栄光があるからです。


【ローマ8章17-18節】

もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。

今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。


また神の国にふさわしい者になるために苦難を受けます。


【第2テサロニケ1章5節】

このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。


そして主は私たちが神の国に入るまでは世にあって多くの苦難があることを示しました。



【使徒の働き14章22節】

弟子たちの心を強め、この信仰にしっかりとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。

主の福音のために苦難を受けることは 御国と栄光を受けることになりますので、苦難を喜び、生きた希望を持つことです。


2022.1.30
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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人生の競争



テーマは「 人生の競争 」です


【へブル12章1-14節】

こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。

あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。

そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。

もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。

さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。

なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うままに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです。

すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます。

ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。

また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。

すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。

私たちの人生は地上で永遠に続くのではなく、終わりが来ます。


死は地上でのゴールで、それから霊の世界が始まります。

地上での人生を競争にたとえ、どのようにしたら その競争で勝利の人生になるかを本文で語って下さいました。



信じる者が勝利の人生で得るものは神の国に入ること、そして主から良い報いを受けることです。


人生の競争を勝利に導くために、どのような心構えと行動が必要なのかを学びます。



最後まで走り終えるためには、競争の障害物になるものを捨てることです。


あらゆる重荷は主にゆだね、罪は悔い改めて捨てることです。

それらのものを抱えては走り続けることは無理です。


そして忍耐しながら、すでにその道を走り終えたイエス・キリストと多くの信仰の証人たちの姿を見ながら走ることです。


それが慰めと力、励ましになります。



神はまた私たちを訓練しますが、その時は、つぶやかず訓練が自分に益をもたらし、またそれによって自分が聖くなることを思って、主からの訓練を受けることです。


その中で結ぶ実が義の実です。


人生の競争をする人たちはすべての人との平和を追い求め、また聖さを追い求めることです。


理由は聖さがなければ、だれも主を見ることが出来ないからです。


【マタイの福音書5章8節】

心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

2021.6.20
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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