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シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

霊的不感症


【お知らせ】

今回をもちまして、ブログの更新を終了することになりました。
いつも見てくださった方々に心から感謝致します。
今後は、「今日のいのちのパンと祈り」、「3分バイブルボイス」をどうぞよろしくお願い致します。





テーマは「 霊的不感症 」です


【イザヤ書1章10-20節】

聞け。ソドムの首領たち。主のことばを。耳を傾けよ。ゴモラの民。私たちの神のみおしえに。

「あなたがたの多くのいけにえは、わたしに何になろう」と、主は仰せられる。「わたしは、雄羊の全焼のいけにえや、肥えた家畜の脂肪に飽きた。雄牛、子羊、雄やぎの血も喜ばない。

あなたがたは、わたしに会いに出て来るが、だれが、わたしの庭を踏みつけよ、とあなたがたに求めたのか。

もう、むなしいささげ物を携えて来るな。香の煙──それもわたしの忌みきらうもの。新月の祭りと安息日──会合の召集、不義と、きよめの集会、これにわたしは耐えられない。

あなたがたの新月の祭りや例祭を、わたしの心は憎む。それはわたしの重荷となり、わたしは負うのに疲れ果てた。

あなたがたが手を差し伸べて祈っても、わたしはあなたがたから目をそらす。どんなに祈りを増し加えても、聞くことはない。あなたがたの手は血まみれだ。

洗え。身をきよめよ。わたしの前で、あなたがたの悪を取り除け。悪事を働くのをやめよ。

善をなすことを習い、公正を求め、しいたげる者を正し、みなしごのために正しいさばきをなし、やもめのために弁護せよ。」

「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。

もし喜んで聞こうとするなら、あなたがたは、この国の良い物を食べることができる。

しかし、もし拒み、そむくなら、あなたがたは剣にのまれる」と、主の御口が語られたからである。


神様の恵みを忘れ、罪を犯しながら形式的に礼拝をささげることをどう思いますか。


神様はそのようなことを平気にやっていたユダの民に罪を辛辣に指摘しながら悔い改めるように責めました。


信仰の堕落が始まる原因は、霊的不感症によるものです。



霊的に目を覚ましている状態の時は罪を警戒し、主のことばにも聞き従い、主との関係を何よりも優先にしますが、

霊的感覚が鈍くなり始めると、主のことばに対しても聞く耳を閉ざし、罪の誘惑にも負け、礼拝も形式的になります。




神に立ち返らせるために試練を与えても、悔い改めることをしない状態は霊的不感症になっている状態です。


神に立ち返らず、罪の中にいるならば、何よりも神様との関係が壊れます。

壊れた関係の中では祝福も助けも受けることが出来ないです。



罪があるならば、その罪を神の前にもって来て悔い改めることです。

その時に罪の問題も、神との関係も、霊的不感症の問題も解決されます。




罪を赦そうとする神の大きな愛を受け入れることです。


そして聖徒たちは何よりも神様との交わりに励み、そのために敬虔な生活のために最善を尽くすことです。



霊的不感症は、霊が死んだ状態と変わらないので、放置してはいけないです。

回復が必要です。


2023.8.27
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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霊的な人



テーマは「 霊的な人 」です


【第1サムエル記24章1-8節】

サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。

そこでサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭をえり抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。

彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用をたすためにその中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥のほうにすわっていた。

ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。

こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。

彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」

ダビデはこう言って部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、ほら穴から出て道を歩いて行った。

その後、ダビデもほら穴から出て行き、サウルのうしろから呼びかけ、「王よ」と言った。サウルがうしろを振り向くと、ダビデは地にひれ伏して、礼をした。


人類を大きく分けるならば、「肉的な人」と「霊的な人」がいます。


世の価値観に従って生きる人が肉的な人、神を信じて神の国と義を求めて生きる人が霊的な人です。


人の目から見たら、肉的な人のほうが有能で魅力的に見え、霊的な人は時代とは合わない人に見えると思います。




しかし霊的な人は、神の前で生きるので、世の価値観で生きることが出来ないです。


神が何を望んでおられるかが関心事であり、みこころに沿って生きることを目指します。


ダビデ王と彼と共にいた部下たち、そしてダビデを殺そうとしたサウル王の姿を見ると違いが分かります。




霊的な人は悪い勧めのことばには従わないです。


目の前に復讐のチャンスが来たように見えた時にも 自分で復讐することをせず、神の手に任せました。

部下たちの目には優柔不断の姿に見えたかも知れないし、チャンスを逃したように思われてしまいがちですが、ダビデは神に油注がれた王を復讐のために殺すことはしませんでした。


悪を行うことを拒みました。

小さな罪に対しても心を痛める霊的な人でした。



悪を行おうとする者に対しても、悪をやめさせ、正しい道に導きました。


復讐よりは赦しを選び、罪よりは神のみこころに従うことを選びました。

ですから彼は神のあわれみを受け、神はダビデの代わりにサウル王にさばきを下しました。



霊的な人はいつも悪を離れ、善を行い、平和を求めて生きる人です。


2022.10.9
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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神を愛する人生



テーマは「 神を愛する人生 」です


【ヨハネの福音書3章16節】

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。

【第1ヨハネ4章9-11節】

神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。


神が愛であることは救われた者ならば分かります。

神のひとり子イエス・キリストの十字架は、神の愛を一番現すものです。


十字架に現れた神の愛は、人が考える甘い愛ではなく、痛み、苦しみを伴う犠牲の愛でした。


愛するひとり子が罪人の代わりに十字架にかかって苦しんでいた時に、父なる神の心には涙が絶えず流れたと思います。



なぜ罪のない聖い父なる神とイエス様が同時にそのような苦しみを受けなければならなかったのかは、罪を犯した人間を見て憎まず 反対に憐れんで救い出そうとしたからです。


暗闇と絶望、のろいと死の中にいる者たちに 神は光と希望、祝福といのちの道を十字架を通して用意して下さいました。


この神の愛と恵みを知っている者が神を信じ、神を愛する者になります。



十字架から流れる神の愛を知らない者が神を愛することは不可能です。

十字架の意味を悟った者が神の恵みを知り、神を愛する者になります。


神がどれほど自分を愛しているかを知っている者は、世を愛することなく、神を愛することを一番の価値観にして生きています。


神より他のものを愛する者は いまだに神の愛を悟っていない者です。



神を愛することは、神のみことばを熱心に学んで、そのことばを守ることです。


神を愛する人は幸せな人生を送ります。

神様と愛し合う関係が幸せをもたらします。


2022.6.5
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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聖霊が支配する心



テーマは「 聖霊が支配する心 」です


【エゼキエル書36章25-27節】

わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。

わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。

罪を犯した人間をみな滅ぼして、新しい人間を創造することが神にとって簡単なことなのに、神はその方法を選ばず、罪人たちを新しい者に変える方法を選びました。


そのために、神はひとり子イエス様を十字架につけるという大きな犠牲を払いました。


神は汚れた人間を洗い、新しい心を与え、それに神の霊を与えて、神のことばに従う者にすると計画しました。

罪人にとっては回復と祝福を受ける大きなチャンスです。


しかしすべての者がこれによって新しくなったでしょうか?



主が『種を蒔くたとえ』を通して、新しく変わる者と変わらない者がいることを教えました。


道端の心を持つ者は心が頑ななので、神のことばを聞いても、心を開いて神のことばを受け入れないので、新しい心になることも変わることもないです。

その心は罪と古い人間がいつまでも支配しています。



薄い岩地の心は感情に支配されてあります。


恵みのことばを聞いた時は心が熱くなって喜びますが、心が冷めると元通りになります。


感情に心が支配されている人は、波のようにいつも心が揺れ動くので新しく変わることが難しいです。



いばらの心は理性が心を支配しています。


本人は自分を慎重な人間だと思うかも知れませんが、神に頼るよりは、自分の理性に頼ることが多いので心配と不安が絶えないです。


口では「主よ、主よ」と呼びますが、主に頼らず、自分の考えや思いのままに生きています。

ですから変わることが難しいです。



しかし良い地の心を持っている人は、石の心ではなく、聖霊が支配する心なので、新しく生まれ変わっています。


この人たちはいつも聖霊を求め、聖霊に満たされ、また導きを受けているので、多くの良いわざに励み、御霊の実を結びます。


神はこのような人を神の民と呼び、その人たちの神になります。



聖霊が支配する心こそ神が求める心なので、その心を共に目指していきたいと思います。


2021.8.22
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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後の世代の者に語り告げよう



テーマは「 後の世代の者に語り告げよう 」です


【詩篇78編1-8節】

私の民よ。私の教えを耳に入れ、私の口のことばに耳を傾けよ。

私は、口を開いて、たとえ話を語り、昔からのなぞを物語ろう。

それは、私たちが聞いて、知っていること、私たちの先祖が語ってくれたこと。

それを私たちは彼らの子孫に隠さず、後の時代に語り告げよう。主への賛美と御力と、主の行われた奇しいわざとを。

主はヤコブのうちにさとしを置き、みおしえをイスラエルのうちに定め、私たちの先祖たちに命じて、これをその子らに教えるようにされた。

後の世代の者、生まれてくる子らが、これを知り、彼らが興り、これをその子らにまた語り告げるため、

彼らが神に信頼し、神のみわざを忘れず、その仰せを守るためである。

また先祖たちのように、彼らが、かたくなで、逆らう世代の者、心定まらず、その霊が神に忠実でない世代の者とならないためである。

詩篇78編を読むと、イスラエルの民が40年間荒野を通った時の様子が自然に思い出されます。

神はその時の彼らの姿を隠すことなく、すべてさらけ出しました。



世界の歴史を見ると、それぞれの国が歴史を歪曲して書くことが多いです。


見せたくない部分を隠し、悪いものを良いものにすり替え、先祖たちの罪も隠し、それを後の世代の者に教えます。

これは正しいことではなく、悪です。


偽りの歴史を学ぶ子孫たちは、また同じ罪を起こしやすいです。



神は選民イスラエルの先祖たちの罪をこのようにさらけ出した理由を7-8節で語りました。

ですから過去のあやまちを二度と行わないためにも繰り返して教えないといけないです。


特に神は、神に対する彼らの態度を問題にしたので、その部分を知りたいと思います。




神の姿




・神は多くの奇しいわざを行って彼らを40年間荒野で導きました。


・神は憐れみ深い方で、彼らの咎を赦して滅ぼさず、幾度も怒りを抑えました。


・神はご自分の民を羊の群れのように連れ出し、荒野の中を連れて行かれました。


・あまりにもひどい民に対して、時には激しい怒りで彼らを裁きました。




人間の態度




・神の契約を守らず、神の教えに従って歩むことを拒み、神が見せて下さった多くの奇しいことを忘れてしまった。


・神に罪を犯し、神に逆らった。


・心のうちで神を試みた。


・神を信じず、御救いに信頼しなかった。


・神から食べ物を受けても欲望から離れなかった。


・神の奇しいわざを信じなかった。


・神を欺き、彼らの心は神に誠実ではなく、神の契約にも忠実ではなかった。


・ずっと神を悲しませた。


・彼らは神の力をも、神が敵から贖い出して下さった日をも覚えていなかった。


・神を裏切り、刻んだ像を拝んだ。






このようにひどい民であったにもかかわらず、神がどのように彼らを導いたのかを自分たちの姿も重ねながら見るならば、私たちは多くのことを学ぶことが出来、また悔い改めることも出来ます。


見捨てられていないだけでも大きな主の愛を感じます。


2021.8.8
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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