テーマは「 愛の実践 」です
【第1ヨハネ4章19-21節】
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
先週は第1ヨハネ3章で「愛の理由と方法」に対して学びました。
その中でも話しましたが、愛には必ず実践が必要です。
愛を語る時にいつも語られるのは、神がまず私たちを愛してくださったことです。
神に愛されていることほど素晴らしいことはないです。
神様は口先だけで愛したのではなく、御子キリストを人としてこの世に送り、私たちのために死に渡されました。
大きな犠牲を払いました。
無限の愛を見せて下さいました。
4章には愛のことばがたくさん出てきます。
愛の神様の姿もたくさんありますが、神は私たちに対しても愛の姿を期待しています。
愛を実践するためには、まず神との熱い交わりが必要です。
神様との関係が冷めて断絶されたようであるならば、愛の実践はおろか他人に対しても冷たく無関心です。
神様を愛する人たちは兄弟に対しても愛が出てきます。
愛を実践することはクリスチャンの生活原理です。
愛には自己犠牲が伴います。
しかし それを嫌がるのではなく、喜ぶのが本物の愛です。
受けることばかり考える人は、愛することが出来ないです。
しかし、受けるよりも 与えることを喜ぶ人には愛があります。
ヤコブで『行いのない信仰は死んでいるのです。』と言われたように、行いのない愛も死んでいるのです。
口先だけの愛は死んでいますが、指先の愛は生きています。
手を差し伸べて与える人が愛を実践している人です。
主が愛を実践した人を見て語ったことばです。
【マタイの福音書25章40節】
すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
愛の実践をしたか どうかも裁きの時には問われます。
日々の生活で愛を実践することを常に心掛けましょう。
2022.5.8
聖日礼拝メッセージ
シャローム松山教会
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からし種の信仰と成長
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