テーマは「 霊的な人 」です
【第1サムエル記24章1-8節】
サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。
そこでサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭をえり抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。
彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用をたすためにその中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥のほうにすわっていた。
ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。
こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。
彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」
ダビデはこう言って部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、ほら穴から出て道を歩いて行った。
その後、ダビデもほら穴から出て行き、サウルのうしろから呼びかけ、「王よ」と言った。サウルがうしろを振り向くと、ダビデは地にひれ伏して、礼をした。
人類を大きく分けるならば、「肉的な人」と「霊的な人」がいます。
世の価値観に従って生きる人が肉的な人、神を信じて神の国と義を求めて生きる人が霊的な人です。
人の目から見たら、肉的な人のほうが有能で魅力的に見え、霊的な人は時代とは合わない人に見えると思います。
しかし霊的な人は、神の前で生きるので、世の価値観で生きることが出来ないです。
神が何を望んでおられるかが関心事であり、みこころに沿って生きることを目指します。
ダビデ王と彼と共にいた部下たち、そしてダビデを殺そうとしたサウル王の姿を見ると違いが分かります。
霊的な人は悪い勧めのことばには従わないです。
目の前に復讐のチャンスが来たように見えた時にも 自分で復讐することをせず、神の手に任せました。
部下たちの目には優柔不断の姿に見えたかも知れないし、チャンスを逃したように思われてしまいがちですが、ダビデは神に油注がれた王を復讐のために殺すことはしませんでした。
悪を行うことを拒みました。
小さな罪に対しても心を痛める霊的な人でした。
悪を行おうとする者に対しても、悪をやめさせ、正しい道に導きました。
復讐よりは赦しを選び、罪よりは神のみこころに従うことを選びました。
ですから彼は神のあわれみを受け、神はダビデの代わりにサウル王にさばきを下しました。
霊的な人はいつも悪を離れ、善を行い、平和を求めて生きる人です。
2022.10.9
聖日礼拝メッセージ
シャローム松山教会
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からし種の信仰と成長
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