すべての事について…感謝❤

シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

恵み

諦めない祈り



テーマは「 諦めない祈り 」です


【ルカの福音書18章1-8節】

いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。

「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。

その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。

彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、

どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」

主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。

まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。

あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」


イエス様は『いつでも祈るべきで、失望してはならない』と教えました。


なぜ失望しますか?

祈りを必死に妨害する敵である悪魔と戦って突破しないといけないのに、そこに引っ掛かって倒れるからです。



どんな祈りでも妨害を受けない祈りはないです。

妨害する者と戦って突破する時に祈りはしやすくなります。




一人のやもめが悪い裁判官を訪ねた理由は、宗教指導者たちが祈りや信仰によって解決しなかったので仕方なく裁判官の所に行きました。

無能で融通が利かない指導者たちでした。


異邦人の裁判官は最初は取り合わなかったですが、彼女のしつこさに負けて裁判を行って問題を解決してあげました。




神様は昼も夜も神に叫び求めている者の祈りを聞いて下さると約束しました。


絶えず祈る時、失望せずに祈る時、切に願う時に、神様の驚くべき恵みを体験することが出来ます。

時が満ちるまで祈ることです。




主は『人の子が来る時、果たして地上に信仰が見られるのでしょうか』と言われましたが、信仰がなくなるのは、人々が祈らないからです。


自分の力や金の力で何でも出来ると思う個人主義が盛んになると、人々は祈らなくなります。


2023.8.13
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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戻って来た者



テーマは「 戻って来た者 」です


【ルカの福音書17章12-19節】

ある村に入ると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、

声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と言った。

イエスはこれを見て言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中できよめられた。

そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、

イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。

そこでイエスは言われた。「十人きよめられたのではないか。九人はどこにいるのか。

神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」

それからその人に言われた。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰が、あなたを直したのです。」


癒し主イエス様はらい病にかかった10人を癒しました。


病気が癒されたかどうかは 祭司が判断するように律法に書かれてあるので、祭司に体を見せるように言われました。


病気が癒されたことを確認した9人は大喜びで各自家に帰りましたが、一人だけが感謝するために主の所に戻ってきました。

神に栄光をささげ、主の足元にひれ伏して感謝しました。




主への栄光と感謝は何らかの条件からではなく、神様との関係から出て来ます。


10人癒されましたが、栄光と感謝の霊性をもった人は一人だけでした。


『10人癒されたのではなかったのか。9人はどこにいるのか』と主は聞きました。



神の恵みが全員に注がれたのに、9人は感謝をしない恩知らずの者でした。

今の時代もそんなに変わりはないです。




イエス様の話を聞くと9人はユダヤ人で、戻って来た人は異邦人でした。


ユダヤ人には選民意識が強く、恵みを受けても当たり前と錯覚していました。


癒しを受けても異邦人の方が、その恵みをもっと喜び感謝します。



異邦人だった一人は肉体の癒しだけでなく、その人の信仰を見て、主は魂も救って下さいました。

魂の救いこそ、主が一番願うことであり、主が一番与えたいものです。




クリスチャンならば異邦人よりも もっと神に栄光と感謝をささげないといけないです。


どんなに小さな恵みでも、神に栄光をささげ感謝を忘れない者になりましょう。


2023.8.6
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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聖霊に満たされる段階



テーマは「 聖霊に満たされる段階 」です


【エゼキエル書47章1-12節】

彼は私を神殿の入口に連れ戻した。見ると、水が神殿の敷居の下から東のほうへと流れ出ていた。神殿が東に向いていたからである。その水は祭壇の南、宮の右側の下から流れていた。

ついで、彼は私を北の門から連れ出し、外を回らせ、東向きの外の門に行かせた。見ると、水は右側から流れ出ていた。

その人は手に測りなわを持って東へ出て行き、一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、それは足首まであった。

彼がさらに一千キュビトを測り、私にその水を渡らせると、水はひざに達した。彼がさらに一千キュビトを測り、私を渡らせると、水は腰に達した。

彼がさらに一千キュビトを測ると、渡ることのできない川となった。水かさは増し、泳げるほどの水となり、渡ることのできない川となった。

彼は私に、「人の子よ。あなたはこれを見たか」と言って、私を川の岸に沿って連れ帰った。

私が帰って来て見ると、川の両岸に非常に多くの木があった。

彼は私に言った。「この水は東の地域に流れ、アラバに下り、海に入る。海に注ぎ込むとそこの水は良くなる。

この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。

漁師たちはそのほとりに住みつき、エン・ゲディからエン・エグライムまで網を引く場所となる。そこの魚は大海の魚のように種類も数も非常に多くなる。

しかし、その沢と沼とはその水が良くならないで、塩のままで残る。

川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から流れ出ているからである。その実は食物となり、その葉は薬となる。


エゼキエル書の中でわくわくする場面が二つあります。


37章にある干からびた骨が生き返る場面と、47章で神殿の敷居から流れる水が恵みの川に変わる場面です。

両方とも聖霊によるものです。


エゼキエルは、神殿の敷居の下から水が流れる幻を見ました。

その水がどんどん増えて、足首から膝、腰、次は泳げるほどの川になり、そして渡ることの出来ない川になりました。




水は聖霊を象徴します。


神殿の敷居から流れる水も重要ですが、もっと重要なことは 自分たちの中にも聖霊の川があることです。


【ヨハネの福音書7章38節】

わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。



聖霊は最初小さな恵みを見せますが、信じる者が聖霊のみわざを感じ、恵みに感謝するならば、さらに大きな恵みを与えます。


恵みの水が増していく段階は、聖霊充満になっていく段階です。


聖霊充満になるためには聖霊と共に歩み、神のみこころとみことばに従います。

そして問題があっても むしろ聖霊にあって祈ることです。


神は祈る時に力を与えます。



神の力と神の武具を身につける人は、主の証人になります。

これらの段階を進んでいくと古い人は死に、聖霊充満によって新しい人に変わります。



聖霊充満の実態は古い人から新しい人に変わることです。


信じても古い性質がたくさん残ってあるならば、まだ聖霊充満とは言えないです。



聖なる者こそが聖霊充満な人です。

その人は泳げるほどの川の中で自由に泳ぐことが出来ます。


2023.6.18
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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すべてに感謝せよ



テーマは「 すべてに感謝せよ 」です


【第1テサロニケ5章18節】

すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。


私たちの人生には明るい面と暗い面があります。

しかしどの面を見るかによって、感じるものが変わります。


暗い面を見ると感謝よりも不満不平が出ます。

しかし明るい面を見ると感謝が出ます。



その意味で感謝は選択です。

自分が選択することによって感謝も出るし、不満も出ます。


感謝出来ない理由としては妬みとつぶやき、恵みを悟らないので出ます。

間違えた方向に思いを向けると、不満しか出ないです。




すべての環境の中には感謝出来ることもたくさんあります。

思いの方向を変えるならば、いくらでも感謝が出来ます。


どんな苦しみの中でも、苦しみを祝福に変えることが出来、どんな不幸も幸福に変えることが出来ます。


それを変えるスイッチが「感謝」です。



すべてが栄え、たくさん持っている人が幸せな人ではないです。

すべてを持っていても感謝がなく つぶやく人、不満が多い人は幸せではなく、不幸な人です。


しかし少ししか持ってなくても、感謝する人が幸せな人です。


本当に幸せになりたいならば、感謝する人になれば幸せにもなります。


2022.12.4
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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恵みにあずかる人



テーマは「 恵みにあずかる人 」です


【ピリピ1章7-8節】

私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。

私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。


この世で一番大きい恵みを受けた人は、罪赦されて救われ、地獄の子から神の子になった人です。

一番大きい恵みである理由は、それがキリストの十字架による恵みだからです。


この恵みを悟った人は、続けてその恵みの中にとどまるために、自分の十字架を負ってイエス様について行かないといけないです。



主の所にはいつも大勢の群衆がいました。

しかし主が求めたのは群衆ではなく、弟子でした。


『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに来なさい。』と言われた主です。

恵みに感謝しながら、喜んで自分の十字架を負うことが救われた人の姿です。



自分の自我も計画もビジョンも全部下ろして、主が下さった使命の十字架を負って、十字架の道を選び、十字架の人生を生きることです。


自分の祝福や恵みだけを求める群衆は それが与えられないと、主を裏切り 『十字架につけろ』と言う者になります。




十字架を誇りとし、十字架を喜びながら、いのちまでも捨てる弟子こそが 主に喜ばれる者で、恵みにあずかる人になります。

恵みを知っている者は、良いものよりもキリストの苦難にあずかることをもっと大きい恵みとして受け止めています。


主が与える十字架を負う人生が 『恵みにあずかる人生』です。


ですから弟子たちは苦難も死も恐れず、最後まで自分の十字架を負ってキリストに従いました。

そして幸せな者として天に召されました。


2022.11.27
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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