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シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

不信仰

ヨシュアとカレブに見習う



テーマは「 ヨシュアとカレブに見習う 」です


【民数記14章6-10節】

すると、その地を探って来た者のうち、ヌンの子ヨシュアとエフネの子カレブとは自分たちの着物を引き裂いて、

イスラエル人の全会衆に向かって次のように言った。「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。

もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜とが流れている。

ただ、主にそむいてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」

しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現れた。


神様は人間の奴隷、罪の奴隷として長い間苦しんでいたイスラエルの民を哀れんで様々な奇跡と不思議、災いを通してエジプトから彼らを連れ出し、乳と蜜が流れるカナンの地に向かわせました。


あらゆる束縛と労役から解放された民は喜びと希望に満ちていました。

200万人近い人が主の導きを受けて、エジプトを出ました。



これはこの世から救い出されたクリスチャンの姿でもあります。


誰もが乳とが流れる地がどんな所なのか興味があり、みんなもそこに入りたい希望がありました。


しかし彼らの希望と喜びは あっという間に消えていきました。

カナンの地よりも、今の生活に対する不満が募って来て、つぶやき出し、カナンの地よりもエジプトの方が良いとまで言い出しました。



今まで受けた神の恵みを忘れ、神につぶやきました。

民全体が不信仰になり、つぶやく姿は醜い姿でした。


前に進むべきなのに、元に戻ることを彼らは選択しました。


そういう雰囲気の中で、ヨシュアとカレブは 神の約束に堅く立ち、人々を説得しようとしました。


しかし何の効果もなく、反対に殺されそうになりました。

神様の介入がなかったならば、殺されたと思います。


もし殺されても二人は最初の信仰と希望と喜びをしっかり持っていたと思います。



他の人たちは神が喜ぶ信仰と従順、希望をすべて失っていました。

それはカナンの地に入る資格を失ったようなものでした。


天国は、信仰と従順と感謝で入る国です。



不平不満、不信仰の人たちはみんな荒野で死にましたが、二人は神の約束を信じ、主のみこころに従い、従順によって勝利したので 乳と蜜が流れるカナンの地に入ることが出来ました。


聖徒は霊的に 『出エジプト』 した者です。

ヨシュアとカレブのようでないならば、荒野で倒れます。


苦難が多くても、決してつぶやかず、主を信頼して、最後まで信仰と従順で勝利しましょう。


2022.9.11
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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苦難を通して従順を学ぶ



テーマは「 苦難を通して従順を学ぶ 」です


【ヘブル5章8-10節】

キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、

完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、

神によって、メルキゼデクの位に等しい大祭司ととなえられたのです。


キリストは罪を犯したことがない方なので、本来は苦難を通して従順を学ぶ必要がありませんでした。


しかし敢えて苦しみを通して従順を学んだと書かれた理由は、私達に従順を学ばせるために模範を見せるためでした。



従順を学ぶのに、なぜ苦難が必要でしょうか?


苦しみの中で神に従順することは簡単ではないです。



信仰が強いヨブも苦難には耐えられず、神をのろうとサタンは自信満々で言いました。

『彼はきっとあなたに向かってのろうに違いありません。』


サタンの自信は苦難の中で神を呪う人をたくさん見たからです。



ですからサタンは、信仰ある人を倒すために苦難を使いました。

それで神とサタンは、ヨブの信仰と従順をテストするために苦難を与えました。


神とサタンがヨブに期待するものは正反対でした。


結果は皆さんも知っている通り、ヨブは神を呪わず信仰を守り、従順によって神を喜ばせました。



従順のためには絶えず忍耐が必要です。

不信仰とも戦わないといけないです。


サタンは不従順を期待しますが、神様は苦難の中で従順することを期待します。



苦しみの中で忍耐し 従順する人は必ず霊的に成長します。


霊的成長は、時間と学習によって出来るものではなく、苦難という実習を通して成長します。


イエス様の恵みによって生まれ変わった者は霊的成長が必要です。

そのために神様は苦難を通らせます。



従順は霊的に成長した姿です。


神様が許した苦難は、一時的な苦難で 終わりのない苦難ではありません。


苦難を通して従順を学び 成長した人は、そのたましいがきよくなり、神を信頼し、義の実を結びます。



イエス様が従順を通して神の義を行い、救いの道を開いてくださったように、私たちも従順によって 神様が私たちに期待する「義の実」を結ぶことが出来ます。



【申命記28章2節】

あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。


2022.4.10
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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神はえこひいきしない



テーマは「 神はえこひいきしない 」です


【ローマ2章6-11節】

神は、ひとりひとりに、その人の行いに従って報いをお与えになります。

忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと不滅のものとを求める者には、永遠のいのちを与え、

党派心を持ち、真理に従わないで不義に従う者には、怒りと憤りを下されるのです。

患難と苦悩とは、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、悪を行うすべての者の上に下り、

栄光と誉れと平和は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、善を行うすべての者の上にあります。

神にはえこひいきなどはないからです。

神を知っていると言う人々の中でも、実際は神を知らない人が多いです。

それは自分が考える神の姿であって、本当の神の姿ではないです。



「主よ、主よ」と言う大勢の者に対して、主は「わたしはあなたがたを全然知らない」と言われました。


自分は知っていると思っていたのに、肝心な主が自分を知らないという とんでもないことが起こります。



自分が描く神ではなく、本当の主の姿を知らないと神への誤解、疑い、不信仰が出てきます。

誤解や疑いは信仰を邪魔するものです。


神はえこひいきしていると誤解しているクリスチャンも多いです。

不公平だと思って心に不満を持っています。



しかし神はそのような方ではないです。


神は気ままに誰かを祝福したり裁いたりする方ではなく、基準があってそれに従って正しく祝福したり、裁いたりします。

その基準が変わったことは一度もありません。



忍耐しながら善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には永遠のいのちを、不義に従う者には怒りが下り、悪を行う者には患難と苦悩があります。


神は決してうわべで判断することはしないです。


律法を持っている人は律法に従って、律法を持たない人は良心が裁きの基準になります。

また隠れたことも見て、正しく報いたり裁いたりします。



信じる人は神を正しく知ることが何より大切です。

そうしないと信仰を持つのが難しいです。


人々を通して神を知るのではなく、神のことばで神を知って下さい。


主を知ることを切に求めて下さい。



2020.12.13
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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神を裏切った民



テーマは「 神を裏切った民 」です


【イザヤ書1章2-4節】

天よ、聞け。地も耳を傾けよ。主が語られるからだ。「子らはわたしが大きくし、育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。

牛はその飼い主を、ろばは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに、イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない。」

ああ。罪を犯す国、咎重き民、悪を行う者どもの子孫、堕落した子ら。彼らは主を捨て、イスラエルの聖なる方を侮り、背を向けて離れ去った。

裏切り者は 知っている人、それも信頼し、信用した人が良い関係を一方的に壊し、相手を辛い目に合わせる行為です。

された側の心の痛みはとても大きいです。


神ほど裏切られた経験が多い方はおられないと思います。


イスラエルの民族が選民になったことには目的がありました。

私たちクリスチャンは霊的イスラエルなので選ばれた目的は同じです。


【出エジプト記19章5-6節】

今、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るなら、あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝となる。全世界はわたしのものであるから。

あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなたの語るべきことばである。」

神の目的と期待がありました。

そして神は特別な祝福をイスラエルに与えました。


エジプトの奴隷から解放し、律法を与え、神は直接彼らの世話を毎日しました。

乳と蜜が流れるカナンの地に導き入れ、多くの祝福を与えました。


豊かになった彼らは、その時から神の愛を悟ることも、理解することもせず、つぶやきと不信仰、不従順が増えました。

神より世を愛する者になりました。


預言者を遣わして彼らの罪を指摘しても耳を傾けず、ますます罪を犯す民になりました。


その結果「祭司の王国」「聖なる国民」「神の民」が「罪を犯す国」「咎多き民」「悪を行う者どもの子孫」「堕落した子ら」になりました。


民全体の罪がどれほど深刻であるかを見せてあります。

このようになってしまった原因は、彼らが聖なる方を侮り、背を向けて離れ去ったからです。






罪の道を歩んで神を裏切る者たちは、まず神を捨てることから始めます。

神から一歩下がります。


自分の心と生活の中から神の存在を小さくしていきます。

神に従うことも神を喜ぶこともしません。


礼拝を形式的なものにしてごまかします。

そしてどんどん神との距離を広げていき、世に向かって歩み出します。


そしてそのうち神に完全に背を向けます。

また神を嫌う態度を見せます。



良い子が悪い子になっていく姿を想像したらよく分かると思います。

親から背を向け、親が嫌うことをし、親に反抗的な態度を見せます。


悪い子らと仲良くして、悪いことを平気に行います。

愛して育てた親の心に釘を打つようなことをします。


神を裏切る者も神に対してそのような行動をします。


神は痛みを感じない方でしょうか。

無感覚な方でしょうか。


誰よりも神は心を痛めておられます。



神はただ教会に通う人ではなく聖徒を捜しています。


形式的な礼拝をささげ、口先だけ愛を告白する者、神を裏切る者を見て嘆いておられます。


私たちの姿はどうでしょうか。

イエス様を裏切ったユダの結末を思い出しましょう。

それが今も行われています。


私たちのあるべき姿は心から神を愛し、賛美と感謝をもって主の前に出て、主をほめたたえることです。


2018.11.11
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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信仰の目で見ること



テーマは「 信仰の目で見ること 」です


◎基調聖句 ヘブル11:8~13

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。

そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

【 要 旨 】

信仰は個人的である。

自分に信仰があるかどうかは神の言葉を聞く姿勢で知ることが出来る。


不可能のように聞こえて来ることばでも、そのことばに対して「アーメン。信じます。」と告白するならば信仰があるが、

どうしてもそのことばが信じられないならば信仰がないことである。

また疑ったりするならば、信仰が薄いことである。



信仰の目は賢い建築家の目に例えることが出来る。

賢い建築家は家を建てる前に、何もない空間を見て、そこに立つ家を想像し、そして図面を書き、その通りの家を建てるのである。


信仰も神の約束のことば、啓示のことばを聞いて、信仰の目で、それを想像し、確信し、告白し、それを自分のものにすることである。



アブラハムは主が約束したカナンの地に立って、天にある神の都を想像し、いつかそこに入って永遠の安息を受けると信じ、地上では旅人として歩んだ。

空の星を数えながら、神の子孫たちがそのように多くなることを信仰の目で見ていた。


信仰によって生きる人たちは、信仰の目で未来を見、永遠の世界を見ていた。

だからどんな困難があっても、絶望的な状況になっても、失望せず、ますます信仰を強くした。


第二コリント4:16~18

ですから私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なら人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は私たちのうちに働いて、測り知れない重い永遠の栄光をもたらすからです。


2018.9.9
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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