テーマは「 十字架に自分をつける 」です
【ガラテヤ6章14節】
しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。
イエス・キリストの十字架は、罪人のための十字架でした。
全人類が罪人ですから、全人類を贖うために罪のない方が十字架につけられました。
主は十字架の死の意味をこのように話して下さいました。
【ヨハネの福音書3章14-15節】
モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。
それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」
主は 最初から十字架にかかることの意味を知って 十字架にかかりました。
私たち信じる者は、その意味を知って主を信じました。
信じた者はそれから十字架と どのように関わりながら生きるべきでしょうか?
自分の人生に十字架はどういう意味があるのか、その十字架とどのような関係を持つのかを常に考えることです。
イエス様から言われたことばです。
『誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。』
信じる者は、主が負わせた使命の十字架を負って ついて行かないといけないです。
その十字架を負ってついて行きたいならば、自分を捨てなければついて行くことが出来ないです。
どのように自分を捨てることが出来るでしょうか。
ここにも十字架が出てきます。
【ガラテヤ2章20節】
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
キリストが自分の使命を果たすために十字架で死なれたように、私たちも古い人を十字架で死なせないと使命を果たすことは出来ないです。
また本文にもあるように、自分が今まで持っていた世の価値観や世の誇りなどをすべて十字架につけることです。
パウロは自分が誇りとしていたものを すべて「ちりあくた」と思って捨てました。
キリストの十字架を誇るために そのようにしました。
私たちも主の十字架の恵みの中で生きるために、主と共に十字架につけられ、主と共に生きることです。
【第1コリント1章18節】
十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。
2022.5.22
聖日礼拝メッセージ
シャローム松山教会
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八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長
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