すべての事について…感謝❤

シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

絶体絶命

主は私の力、私の救い



テーマは「 主は私の力、私の救い 」です


【出エジプト記15章1-3節】

そこで、モーセとイスラエル人は、主に向かって、この歌を歌った。彼らは言った。「主に向かって私は歌おう。主は輝かしくも勝利を収められ、馬と乗り手とを海の中に投げ込まれたゆえに。

主は、私の力であり、ほめ歌である。主は、私の救いとなられた。この方こそ、わが神。私はこの方をほめたたえる。私の父の神。この方を私はあがめる。

主はいくさびと。その御名は主。

昨年と今年 わたしたちが住む世界には心配、不安、恐れ、思い煩いによって無力になり、諦めないといけないことがたくさん増えました。


以前は自然に出来たことが出来なくなりました。

新鮮な空気を吸うことも、外では出来なくなりました。


そして各地で経済圧迫、災害ニュース、戦争やテロ、不安な未来、孤独が私たちを脅かしています。

コロナでも 様々な対策をしても解決されないし、安全な避難所はないです。



このような時に私たちの力であり、救い主である神に身を避けるならば、救い出され、守られます。



イスラエルの民がエジプトを出た後に彼らが直面した状況は最悪な状況でした。


エジプトで神の大きな力を体験し、無事に脱出できたのに、今度は絶体絶命の危機に遭いました。


前方は紅海の海、後方はエジプトの軍隊。

民は恐れでパニックになりました。


彼らはモーセに言いました。

『エジプトには墓がないので、あなたは私たちを連れて来て、この荒野で、死なせるのですか。
私たちをエジプトから連れ出したりして、いったい何ということを私たちにしてくれたのです。

私たちがエジプトであなたに言ったことは、こうではありませんでしたか。
『私たちのことはかまわないで、私たちをエジプトに仕えさせてください。』
事実、エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かったのです。」



私たちも きっと同じことを言ったと思います。


しかしモーセが神に叫んだ時に 神は民を守って下さり、誰一人いのちを失った人はいなかったですが、彼らの敵は神の力によって海の中で全滅されました。

彼らを助けたのは神以外には誰もいませんでした。


神に委ね、神に信頼する時に勝利の神が救い出して下さり、守って下さいます。


これからの不安な時代に私たちはますますこの神の力の救いに頼らなければなりません。


【詩篇62編5-6節】

私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。私の望みは神から来るからだ。

神こそ、わが岩。わが救い。わがやぐら。私はゆるがされることはない。

2021.12.12
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

力と勇気を下さる主



テーマは「 力と勇気を下さる主 」です


【第1サムエル記30章3-6節】

ダビデとその部下が、この町に着いたとき、町は火で焼かれており、彼らの妻も、息子も、娘たちも連れ去られていた。

ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。

ダビデのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。

ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。

人生の中には絶体絶命の時があります。

完全に追い詰められた状態の時です。


ダビデの人生にも多くの苦しい時がありましたが、この時が絶体絶命の時でした。



戦いに出て帰って来たら、自分たちの家族が一人残らず、侵入して来た者たちによって連れ去られていました。

人も消え、町も火で焼かれていました。


それを見た男たちは 絶望的になり、泣く力がなくなるまで みんな泣きました。



理性を失った男たちは、次に怒りを自分たちの指導者であるダビデに向けて殺そうとしました。


今まで自分たちを守ったダビデに敵対するこのような姿は、いかに人間が自己中心的な存在であるかを見せてあります。



しかし、ここでダビデが取った態度は、信仰の態度でした。

誰も信仰ある態度を見せず、人間的な行動をした時に、一番の被害者でもあるダビデは、目を神に向けて神の助けを求めました。


自分の味方が一人もいない時に、彼はそれまで信頼した神に目を向け、神に頼りました。



神は弱い者、力のない者、主に信頼する者を助けて下さる主です。


神を崇めたダビデはすぐに神から力と勇気を得ました。

そして立ち上がりました。



神は求める者を助けて下さる方です。


「出来る者ならというのか。信じる者にはどんなことでも出来ます。」これは主のことばです。



絶体絶命の時こそ 一番神に頼る時です。


主が助けようと待っておられます。


2021.3.21
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ