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シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

素直

真の悔い改めとは何か



テーマは「 真の悔い改めとは何か 」です


【ヨエル書2章12-13節】

「しかし、今、――主の御告げ―ー心を尽くし、断食と、涙と、嘆きとをもって、わたしに立ち返れ。」

あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。

たましいの救いのために悔い改めは必須です。


そして神の民が 罪を犯して様々な試練にあった時、そこから回復を願うならば、悔い改めが必要です。


ことばで「悪かったです」と告白して、自分は悔い改めたから、後は神様が祝福する番だと思っているクリスチャンがとても多いです。


悔い改めたことを誇る人もいます。

悔い改めたことがそんなに偉いことでしょうか?


人間はなかなか自分の罪を認めようとしないし、それをひたすら隠そうとします。

ですから、それを認めただけで自分は偉いことをした と錯覚する人もいます。


アダムとエバも罪を犯した後に悔い改めることなく隠れました。

罪が指摘されても他人のせいにしました。


カインは罪を犯した後に、悔い改めるどころか、まるで何もしてなかったように嘘を言いました。

弟を殺して埋めた後、神が弟の所在を聞いた時にも「知りません。自分は弟の番人なのでしょうか。」と開き直りました。


明らかに悪いことした犯人なのに、素直に自白する人は 今もとても少ないです。

罪の意識が薄いことも問題ですが、言い訳や責任逃れをしようとする思いも強いです。


口先だけの悔い改めも多いですが、それによって人間が変わることはないです。

そういう人はいつでも口先だけでの悔い改めで終わります。


真の悔い改めは 自分の罪や咎を見つけて、それを素直に神の前で罪として認めることです。

その人たちは神の前に、頭があがらないです。


自分はどうしょうもない罪人で呪われて当然、死んで当然と思いながら、涙と嘆きで心を引き裂いて神に謝ります。


そして神の憐れみによる赦しを求めます。


真の悔い改めが出来た2人の告白を聞くと、真の悔い改めが何かが分かります。

ダビデの悔い改めの告白です。


【詩篇51編3-4節】

まことに、私は自分のそむきの罪を知っています。私の罪は、いつも私の目の前にあります。

私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました。それゆえ、あなたが宣告されるとき、あなたは正しく、さばかれるとき、あなたはきよくあられます。

次の箇所は、使徒パウロの悔い改めの告白です。


【第1テモテ1章13節】

私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。

【第1テモテ1章15節】

私はその罪人のかしらです。

口先だけの悔い改めに神が感動すると思ったら大きな間違いです。

それは神を嘲ることです。


心の痛みを伴う悔い改めが真の悔い改めです。

自分が本当に悔い改めた人は本人が分かります。

なぜならその人は主に立ち返っているからです。


悔い改めましたか?


2018.5.20
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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信仰の人と不信仰の人



テーマは「 信仰の人と不信仰の人 」です


◎基調聖句 マタイの福音書 9章18~34節

◎関連聖句 マタイの福音書 9章13節

この人たちが出て行くと、見よ、悪霊につかれて口のきけない人が、みもとに連れて来られた。 悪霊が追い出されると、その人はものを言った。群衆は驚いて、「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない」と言った。 しかし、パリサイ人たちは、「彼は悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出しているのだ」と言った。(マタイ9:32~34)

【 要 旨 】

イエスは山上の垂訓のあと、カペナウム、ガリラヤあたりで多くの奇跡やいやしを行った。

そのことがマタイの9章に書かれている。


いやされた人は、その人の信仰によるとイエスは言われた。

しかし彼らは信仰を持っていてイエスの所に来たのではなく、自分の力では、どうしようもない可哀想な人であった。


何不自由のない人は、神の不必要な人々であり、そのような人には神の奇跡は起こらない。


神のみが頼りの人、すなわち持っている物をすべて捧げて、神のみを信じる人には、神の助けがあり、信仰を得て永遠の命に入ることができる。

人生の荒野を通る者は、金と権力には左右されないで、神からの奇跡が体験できる。


これに対して、目の前にイエスがいても信じない人がいる。


律法学者やパリサイ人がその類である。

彼らは自分の思いだけ、すなわち、宗教は信じるが、神は信じていない人たちである。


マタイ9:3には

律法学者たちは心の中で、この人たちは神を汚している
と言ったと記されている。


素直になれない人は、不信仰の人になることを如実に示している。

また、パウロもイエスに会うまでは、自分自身の知識を力にしていた。


人間は失敗する動物である。

しかし、それが駄目だとは決まらない。


自分で解決できない時は、まず神の前に出て、助けて下さいと言えばよい。


不信仰を手放さないと、神の恵み、すなわち、成功は覚束ない。

これが真理である。

2017.7.9
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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