すべての事について…感謝❤

シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

疑い

心の中で疑ってはならない



テーマは「 心の中で疑ってはならない 」です


【マルコの福音書11章20-24節】

朝早く、通りがかりに見ると、いちじくの木が根まで枯れていた。

ペテロは思い出して、イエスに言った。「先生。ご覧なさい。あなたののろわれたいちじくの木が枯れました。」

イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。

だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。


今日の本文では『祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすればそのとおりになります。」と主から言われました。


そのとおりになれば問題ないですが、問題は心の中に出て来る “疑い“ です。

100%信仰ならば祈りが答えられるのに、この疑いが出て来るから祈りが答えられないですね。



疑いの問題は何でしょうか。

疑う者は主から何かをいただくことが出来ないです。


【ヤコブ1章6-7節】

ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。

そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。


疑う者は試みに陥りやすいです。


【マタイの福音書14章31-32節】

そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」

そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。


主だけを見た時は水の上を歩いたのに、波を見た瞬間に怖くなって水の中に沈みました。


少しの疑いや不安でも足元が崩れて沈みかけることを ここで見ました。

疑う者は信仰のない者になるからです。



主の弟子トマスは、イエス様を直接触ってみないと復活を信じないと言いました。

そこに主が現れて触るように言いました。


そして『信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』と言われました。



疑いは、信仰も確信を踏みにじります。


信仰には多くの恵みが注がれますが、疑いは恵みが受けられないように邪魔するものです。


2021.11.7
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

信仰の目で見ること



テーマは「 信仰の目で見ること 」です


◎基調聖句 ヘブル11:8~13

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。

そこで、ひとりの、しかも死んだも同様のアブラハムから、天の星のように、また海べの数えきれない砂のように数多い子孫が生まれたのです。

これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。

【 要 旨 】

信仰は個人的である。

自分に信仰があるかどうかは神の言葉を聞く姿勢で知ることが出来る。


不可能のように聞こえて来ることばでも、そのことばに対して「アーメン。信じます。」と告白するならば信仰があるが、

どうしてもそのことばが信じられないならば信仰がないことである。

また疑ったりするならば、信仰が薄いことである。



信仰の目は賢い建築家の目に例えることが出来る。

賢い建築家は家を建てる前に、何もない空間を見て、そこに立つ家を想像し、そして図面を書き、その通りの家を建てるのである。


信仰も神の約束のことば、啓示のことばを聞いて、信仰の目で、それを想像し、確信し、告白し、それを自分のものにすることである。



アブラハムは主が約束したカナンの地に立って、天にある神の都を想像し、いつかそこに入って永遠の安息を受けると信じ、地上では旅人として歩んだ。

空の星を数えながら、神の子孫たちがそのように多くなることを信仰の目で見ていた。


信仰によって生きる人たちは、信仰の目で未来を見、永遠の世界を見ていた。

だからどんな困難があっても、絶望的な状況になっても、失望せず、ますます信仰を強くした。


第二コリント4:16~18

ですから私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なら人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。今の時の軽い患難は私たちのうちに働いて、測り知れない重い永遠の栄光をもたらすからです。


2018.9.9
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ