すべての事について…感謝❤

シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

復活の喜び



テーマは「 復活の喜び 」です


【ピリピ3章21節】

キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じ姿に変えてくださるのです。

イエス様の十字架の死も復活も本人のためではなく、すべて私たちのためでした。


イエス様は本来 神なので人間になる必要も、死ぬことも復活することも必要のない方です。


すべては罪を犯した人間を救うためであり、復活によって死の力を打ち破り、永遠のいのちを与えるためでした。



信じる者に永遠のいのちを与えると約束したのも主でした。

主は約束を守る方であり、それが出来ることを自分の死と復活を通して証明しました。


生きていた時、愛したラザロが死に、その家族が涙を流しながら悲しむ姿を見て、このように語られました。


【ヨハネの福音書11章25節】

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。


そして死んだラザロを生き返らせました。

もちろんラザロは、朽ちない栄光の体を受ける時がまだ来てないので、再びその肉体は死にました。


キリストは死んで葬られた後に三日後に復活しました。

弟子たちは、朽ちない栄光の体を 自分たちの目で見て大喜びしました。



しかしそれで終わりではないです。


復活のいのちを信じる者にも与えると主は約束しました。

主の再臨の時に必ずその約束は成就します。



十字架の苦しみも、死の後の復活を見たので耐えることが出来ました。



主にあるクリスチャンは死で終わるのではなく、復活があります。

復活こそが永遠のいのちです。


主は私たちが復活の望みを抱いて、どんな時にも喜ぶように まずご自身が復活しました。


2021.4.4
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

涙と血の祈り



テーマは「 涙と血の祈り 」です


【ルカの福音書22章41-44節】

そしてご自分は、弟子たちから石を投げて届くほどの所に離れて、ひざまずいて、こう祈られた。

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」

すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。

イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。


十字架を前にしてゲッセマネの園で祈ったイエス様の祈りは「主の祈り」と共に模範的な祈りとして私たちが学ばないといけないです。


私たちは自分の願いが叶えられてほしいので祈りをささげます。



しかし主は自分のために祈りをしたのではなく、神のみこころを行うために汗が血のしずくになるまで祈りました。

口先の祈りではなく、心を尽くした祈りであったので そのようになりました。


十字架の苦難が人類の罪を贖うための苦難であるから、そこには人間的なひどい苦痛が伴うことも知っていました。



主はそのような苦悩と悩みの中でも 決して十字架を避けようとせずに、父のみこころ通りになることを願いました。

絶対的な従順と犠牲の姿勢がそこにありました。



私たちならば どうするでしょうか。


十字架を負わないための祈りをしていると思います。

受難と死を受けたくない思いで必死に祈ると思います。



主は自らを犠牲のいけにえとしてささげました。

それによって救いの道が完成しました。


私たちが今 救われているのは、主がそのように祈って十字架を負ったからです。


救いを受けた私たちは絶えず来る誘惑に陥らないためにも、主のように心を尽くす祈りが必要です。



欲しいものばかり求める祈りでは、誘惑に勝つことも 十字架を負うことも 従順することも無理です。


今年は祈りも主が喜ぶ祈りに変えましょう。

そうすれば主からの答えも早いと思います。


2021.2.7
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

御使いの顔のように見えた



テーマは「 御使いの顔のように見えた 」です


【使徒の働き6章14-15節】

『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」

議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。

初代教会の執事であったステパノは御霊と知恵に満ち、評判の良い人として選ばれました。


また彼は聖霊によって語るので、多くの人が感動を受け、信仰の道に入りました。



しかし人々が救われることを妬む者たちがいました。

イエス様を十字架につけた宗教指導者たちでした。


彼らは以前(イエス様)と同じやり方で、ステパノを捕らえて議会に立たせ、偽りのことばで彼を責めました。

ステパノにとっては とんでもないことで、主のように死刑になる可能性が高いと思っていたでしょう。



しかしその場にいるステパノの顔は御使いの顔のように見えました。


普通ならば、顔に不安と死への恐れが現れるのに、御使いの顔のように見えたことで、多分人々はびっくりしたと思います。


ステパノの顔がなぜ御使いの顔のように見えたでしょうか。

みことば充満であったからです。



いのちと真理のことばに根を下ろして生きる人は、みことばに対する確信が強いので、どんな状況に置かれても揺れ動かないです。


神の約束も天国も信じるので、迫害も死も恐れないです。

むしろ神の元に行きたいと願います。


聖霊充満であったので、御使いの顔のように見えました。



聖霊に満たされた人は自我に死んだ人です。

ですから聖霊充満になると、主が与える平安と霊的喜びで心が満たされます。


心にあるものが顔にも映るので御使いの顔のように見えたと思います。

全き平安な顔だったと思います。



聖霊に満たされると心が平安になります。

そして霊的喜びがあるので、その顔がとても平安な顔になります。


いつも眉間にしわを寄せて怒ったかのような顔は 怖い顔に見えるので、人々が寄り付かないです。

年配の男性に多いですね。

小さいことにもすぐキレることも多いです。



穏やかな顔をしている人たちからは品性を感じます。

ステパノの顔はとても穏やかで、平安に満ちていたと思います。


日々聖霊との交わりから生まれる慰め、平安、喜び、信仰の訓練から生まれたものが顔に現われました。


愛充満であるから顔が御使いの顔のように見えました。

神を深く愛する人は神以外の誰をも恐れません。



愛の心があるから、自分を迫害する人たちに対しても憎しみや怒りがなく、愛の目で見ているから、人々の目には御使いの顔のように見えました。


愛のある人の顔が悪魔のように見えることはありえないです。

憎しみや怒りに満たされているならば、その顔は悪魔の顔に見えると思います。


昔から恋すると顔が変わると言われます。

愛があるから良い顔に変わりますね。



みことば、聖霊、愛によって内側だけでなく、顔までも変わることをステパノが証明しました。

どんな顔になりたいですか。


2020.5.31
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

復活への希望



テーマは「 復活への希望 」です


【第1コリント15章19-22節】

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。

すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。

アダムによって罪が世界に入り、罪によって死が世界に入りました。


生まれて来るすべての人間にどんでもない呪いをもたらしたのはアダムでした。


生まれて来るすべての人間は 罪と死、闇とサタンの束縛から逃れることが出来ない状態です。


しかしキリストがこの世に来られて 十字架の死の遂げた理由は、悲惨な状態の人間を贖うためでした。


そして十字架の死は人間に救いの道を開きました。

しかしそれですべてが完成したわけではなく、主の復活によって救われた人々に 永遠の命を与えて下さいました。



主を信じる人々にはキリストの復活によって復活の希望があります。

キリストと共に古い人が死んだ者は、キリストと共に復活のいのちにあずかります。


キリスト教は歴史の中で絶えず迫害を受けました。

いつもその危機を乗り越えたのは復活信仰があったからです。


どんな悲しみや恐怖、失望や苦しみ 孤独も、復活の事実を信じ、復活の力の中で生き、復活の福音を伝えるクリスチャンを倒すことは出来ません。


復活の信仰がなかったならば、キリスト教は迫害に耐えられず、この地上から消えて もはや存在しないと思います。

この復活のいのちは永遠に消えることがありません。


主にあって死んだ者は、キリストが死から復活したように、必ず復活します。


これは事実です。

偽りではありません。


キリストの約束です。


2019.4.21
イースター礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

イエス様の苦悩



テーマは「 イエス様の苦悩 」です


【マタイの福音書26章36-41節】

それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」

それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。

そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」

それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」

それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らの眠っているのを見つけ、ペテロに言われた。「あなたがたは、そんなに、一時間でも、わたしといっしょに目をさましていることができなかったのか。

誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい。心は燃えていても、肉体は弱いのです。」

誰もが平安な死を願います。


悲惨な死を迎えると誰かに言われたら生きることも辛いですし、死ぬこともすごく怖いと思います。

知らないから平安を保っているかも知れません。



残念ながらイエス様は自分が悲惨な死を迎えることを知っていました。


それがある意味、大きなストレスになってその日が来た時にはすごく辛かったと思います。


一度も弱音を吐いたことのない主でしたが、初めて弟子たちに心のうちを話しました。

「私は悲しみのあまり死ぬほどです。」


イエス様がそこまで言われた理由は、肉体のことよりも父なる神に呪われることと、捨てられることでした。

これほどイエス様にとって辛いことはありませんでした。


主の苦悩には色々ありますが、苦悩の中身が聖書に出てきます。


【ガラテヤ3章13節】

キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

【マタイの福音書27章46節】

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。


・犯罪者扱いを受ける (マタイの福音書27章38節)

そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。

・銀貨30枚で売られる (マタイの福音書26章15節)

こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

・弟子たちの裏切り (マタイの福音書26章14-16節)

そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、

こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。

そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。

・偽りの証人たちに告訴される (マタイの福音書26章60節)

偽証者がたくさん出て来たが、証拠はつかめなかった。しかし、最後にふたりの者が進み出て、

・多くの人々から侮辱され、悪口を言われた (ルカの福音書23章35-39節)

民衆はそばに立ってながめていた。指導者たちもあざ笑って言った。「あれは他人を救った。もし、神のキリストで、選ばれた者なら、自分を救ってみろ。」

兵士たちもイエスをあざけり、そばに寄って来て、酸いぶどう酒を差し出し、

「ユダヤ人の王なら、自分を救え」と言った。

「これはユダヤ人の王」と書いた札もイエスの頭上に掲げてあった。

十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。

・人々から苦しみを受け捨てられる (ルカの福音書17章25節)

しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。

・十字架にかけられる (マタイの福音書27章35節)

こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、


次から次へとこのような苦しみを受けることを知っていたので、イエス様の悲しみと苦しみは死ぬほど辛かったと思います。


耐え堅い苦しみを 主は罪人を救うために受けました。


私たちが滅ぼされないように、永遠の死を迎えないように、主が私たちの代わりにすべての苦しみをその身に受けました。


私たちは何をもって主に答えることが出来るでしょうか。


2019.4.14
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ