テーマは「 ヨブの信仰 」です


◎基調聖句 ヨブ記 1章8~22節

◎関連聖句 テサロニケ人への手紙第一 5章18節

この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。「あなたのご子息や娘さんたちは一番上のお兄さんの家で、食事をしたりぶどう酒を飲んだりしておられました。 そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです。」 このとき、ヨブは立ち上がり、その上着を引き裂き、頭をそり、地にひれ伏して礼拝し、 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」 ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。(ヨブ1:18~22)

【 要 旨 】

このヨブのようなひどい災難に会ったなら、
我々は神に文句を言って、神の責任にするのではなかろうか。

アダムもそのような傾向にあって、彼は女に責任を負わせた。女は蛇のせいにした。


ヨブはこのようなひどい目に会っても、愚痴を言わず、感謝して神を呼び求めた。
そうすれば神は、望むようにしてくれて、救い出してくれる。

つぶやくなら、神は助けてくれない。
悪いことが続き、ついには穴に落ちる。
すべてのものは、神が造られたという認識が肝要である。


ヨブの真髄は、私は裸で母の胎から出た。
また、裸でかしこに帰ろう、という信仰である。
すなわち、感謝の信仰である。

そうすれば、神の御手が働いて、すべてのことを良くしてくれる。
ヨブの災難に比べれば、我々の苦しみは取るに足りない。


我々は感謝していても、少し条件が変化するとつぶやく。
行動基準が、時として神の上に立っている。
それは世の中の基準に合わせているからである。

文句を言えば、神は耳を閉じる。そうすると、良くないことが、次々と身に降りかかる。

2014.3.23
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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