テーマは「 二つの罪の問題 」です
◎基調聖句 ローマ人への手紙 7章19~25節
◎関連聖句 マタイ5:20~30、箴言6:16~19、ローマ7:7~14
すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。(ローマ7:22~25)
【 要 旨 】
パウロは律法に詳しい人であったが、イエス・キリストに出会うまでは、内面の罪には気づいてなかった。
刑法で決められているような表面的な罪と、内面的な罪が二つの罪であるが、律法学者らは、旧約の律法は表面的な罪と理解していた。
それ故、イエス・キリストは律法学者らを心の堅い者とか、まむしの末と評していたのである。
このことは、マタイの福音書5章20節に
あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に入れません。と書かれている通りである。
内面的な罪は、アダムとイブの時からの原罪であって、人々はこの罪には気づきにくい。
しかし、この罪の方がより重要である。
箴言6章17~19節には、主の憎むもの六つは、次ように書かれている。
高ぶる目、偽りの舌、罪のない者の血を流す手、邪悪な計画を細工する心、悪へ走る速い足、まやかしを吹聴する偽りの証人、兄弟の間に争いをひき起こす者。
基調聖句にあるように、人間はどんなに努力しても、罪の解決は難しい。
イエス・キリストを信じて、心が砕かれ、目覚める以外にない。
大いなる十字架の恵みに気づいて、特に内面の罪を忌み嫌うことにより、悔い改めて主に立ち返ることが私たちの最大の課題である。
ローマ書7章8章は罪の正体がよくわるように記されている。
結局は神の愛である。
2017.7.23
聖日礼拝メッセージ
シャローム松山教会
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