すべての事について…感謝❤

シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

第1サムエル記

霊的な人



テーマは「 霊的な人 」です


【第1サムエル記24章1-8節】

サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。

そこでサウルは、イスラエル全体から三千人の精鋭をえり抜いて、エエリムの岩の東に、ダビデとその部下を捜しに出かけた。

彼が、道ばたの羊の群れの囲い場に来たとき、そこにほら穴があったので、サウルは用をたすためにその中に入った。そのとき、ダビデとその部下は、そのほら穴の奥のほうにすわっていた。

ダビデの部下はダビデに言った。「今こそ、主があなたに、『見よ。わたしはあなたの敵をあなたの手に渡す。彼をあなたのよいと思うようにせよ』と言われた、その時です。」そこでダビデは立ち上がり、サウルの上着のすそを、こっそり切り取った。

こうして後、ダビデは、サウルの上着のすそを切り取ったことについて心を痛めた。

彼は部下に言った。「私が、主に逆らって、主に油そそがれた方、私の主君に対して、そのようなことをして、手を下すなど、主の前に絶対にできないことだ。彼は主に油そそがれた方だから。」

ダビデはこう言って部下を説き伏せ、彼らがサウルに襲いかかるのを許さなかった。サウルは、ほら穴から出て道を歩いて行った。

その後、ダビデもほら穴から出て行き、サウルのうしろから呼びかけ、「王よ」と言った。サウルがうしろを振り向くと、ダビデは地にひれ伏して、礼をした。


人類を大きく分けるならば、「肉的な人」と「霊的な人」がいます。


世の価値観に従って生きる人が肉的な人、神を信じて神の国と義を求めて生きる人が霊的な人です。


人の目から見たら、肉的な人のほうが有能で魅力的に見え、霊的な人は時代とは合わない人に見えると思います。




しかし霊的な人は、神の前で生きるので、世の価値観で生きることが出来ないです。


神が何を望んでおられるかが関心事であり、みこころに沿って生きることを目指します。


ダビデ王と彼と共にいた部下たち、そしてダビデを殺そうとしたサウル王の姿を見ると違いが分かります。




霊的な人は悪い勧めのことばには従わないです。


目の前に復讐のチャンスが来たように見えた時にも 自分で復讐することをせず、神の手に任せました。

部下たちの目には優柔不断の姿に見えたかも知れないし、チャンスを逃したように思われてしまいがちですが、ダビデは神に油注がれた王を復讐のために殺すことはしませんでした。


悪を行うことを拒みました。

小さな罪に対しても心を痛める霊的な人でした。



悪を行おうとする者に対しても、悪をやめさせ、正しい道に導きました。


復讐よりは赦しを選び、罪よりは神のみこころに従うことを選びました。

ですから彼は神のあわれみを受け、神はダビデの代わりにサウル王にさばきを下しました。



霊的な人はいつも悪を離れ、善を行い、平和を求めて生きる人です。


2022.10.9
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

力と勇気を下さる主



テーマは「 力と勇気を下さる主 」です


【第1サムエル記30章3-6節】

ダビデとその部下が、この町に着いたとき、町は火で焼かれており、彼らの妻も、息子も、娘たちも連れ去られていた。

ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。

ダビデのふたりの妻、イズレエル人アヒノアムも、ナバルの妻であったカルメル人アビガイルも連れ去られていた。

ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。

人生の中には絶体絶命の時があります。

完全に追い詰められた状態の時です。


ダビデの人生にも多くの苦しい時がありましたが、この時が絶体絶命の時でした。



戦いに出て帰って来たら、自分たちの家族が一人残らず、侵入して来た者たちによって連れ去られていました。

人も消え、町も火で焼かれていました。


それを見た男たちは 絶望的になり、泣く力がなくなるまで みんな泣きました。



理性を失った男たちは、次に怒りを自分たちの指導者であるダビデに向けて殺そうとしました。


今まで自分たちを守ったダビデに敵対するこのような姿は、いかに人間が自己中心的な存在であるかを見せてあります。



しかし、ここでダビデが取った態度は、信仰の態度でした。

誰も信仰ある態度を見せず、人間的な行動をした時に、一番の被害者でもあるダビデは、目を神に向けて神の助けを求めました。


自分の味方が一人もいない時に、彼はそれまで信頼した神に目を向け、神に頼りました。



神は弱い者、力のない者、主に信頼する者を助けて下さる主です。


神を崇めたダビデはすぐに神から力と勇気を得ました。

そして立ち上がりました。



神は求める者を助けて下さる方です。


「出来る者ならというのか。信じる者にはどんなことでも出来ます。」これは主のことばです。



絶体絶命の時こそ 一番神に頼る時です。


主が助けようと待っておられます。


2021.3.21
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜*・゜゚・*:.。..。.:*・゜

読むと元気になれるブログです!
金ヘス牧師のブログ


教会で美味しい料理を、たくさん食べに来てくださいね!
おふくろの味


毎日、新しいみことばのパンを食べていきましょう☆
今日の「いのちのパン」


八戸ノ里キリスト教会の礼拝メッセージです
からし種の信仰と成長


□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■□■*:;;;:*□■*:;;;:*■

ギャラリー
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ