テーマは「 御使いの顔のように見えた 」です


【使徒の働き6章14-15節】

『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」

議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。

初代教会の執事であったステパノは御霊と知恵に満ち、評判の良い人として選ばれました。


また彼は聖霊によって語るので、多くの人が感動を受け、信仰の道に入りました。



しかし人々が救われることを妬む者たちがいました。

イエス様を十字架につけた宗教指導者たちでした。


彼らは以前(イエス様)と同じやり方で、ステパノを捕らえて議会に立たせ、偽りのことばで彼を責めました。

ステパノにとっては とんでもないことで、主のように死刑になる可能性が高いと思っていたでしょう。



しかしその場にいるステパノの顔は御使いの顔のように見えました。


普通ならば、顔に不安と死への恐れが現れるのに、御使いの顔のように見えたことで、多分人々はびっくりしたと思います。


ステパノの顔がなぜ御使いの顔のように見えたでしょうか。

みことば充満であったからです。



いのちと真理のことばに根を下ろして生きる人は、みことばに対する確信が強いので、どんな状況に置かれても揺れ動かないです。


神の約束も天国も信じるので、迫害も死も恐れないです。

むしろ神の元に行きたいと願います。


聖霊充満であったので、御使いの顔のように見えました。



聖霊に満たされた人は自我に死んだ人です。

ですから聖霊充満になると、主が与える平安と霊的喜びで心が満たされます。


心にあるものが顔にも映るので御使いの顔のように見えたと思います。

全き平安な顔だったと思います。



聖霊に満たされると心が平安になります。

そして霊的喜びがあるので、その顔がとても平安な顔になります。


いつも眉間にしわを寄せて怒ったかのような顔は 怖い顔に見えるので、人々が寄り付かないです。

年配の男性に多いですね。

小さいことにもすぐキレることも多いです。



穏やかな顔をしている人たちからは品性を感じます。

ステパノの顔はとても穏やかで、平安に満ちていたと思います。


日々聖霊との交わりから生まれる慰め、平安、喜び、信仰の訓練から生まれたものが顔に現われました。


愛充満であるから顔が御使いの顔のように見えました。

神を深く愛する人は神以外の誰をも恐れません。



愛の心があるから、自分を迫害する人たちに対しても憎しみや怒りがなく、愛の目で見ているから、人々の目には御使いの顔のように見えました。


愛のある人の顔が悪魔のように見えることはありえないです。

憎しみや怒りに満たされているならば、その顔は悪魔の顔に見えると思います。


昔から恋すると顔が変わると言われます。

愛があるから良い顔に変わりますね。



みことば、聖霊、愛によって内側だけでなく、顔までも変わることをステパノが証明しました。

どんな顔になりたいですか。


2020.5.31
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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