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シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

2016年08月

信仰の原則



テーマは「 信仰の原則 」です


◎基調聖句 ダニエル書 1章8~16節

◎関連聖句 ダニエル6:13~28、Ⅰコリント9:27、ガラテヤ6:14、ルカ2:36~37

「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。 そのようにして、私たちの顔色と、王さまの食べるごちそうを食べている少年たちの顔色とを見比べて、あなたの見るところに従ってこのしもべたちを扱ってください。」世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。 十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。(ダニエル1:12~15)

【 要 旨 】

信仰とは命をかけることが要点である。

少なくとも、そのようなものがなければ信仰とは言えない。


信仰とは神との約束に命をかけることが土台であるべきである。

神の言葉は賢い建築に似ている。

各人によって建て方は異なっていても、知恵のあるものは、良いものである。

野菜と水で健康と知恵は充分摂取できる。


ダニエルは、彼のうちに優れた霊が宿っていたのを、妬まれた大臣によってダリヨス王以外に神に祈願する者は獅子の穴に投げ込むという禁令を制定したが、ダニエルは毎日3度神の前にひざまづき祈ることは止めなかった。


それで彼は獅子の穴に投げ込まれたが、神の命により獅子は何の害も加えなかった。


アブラハムはイサクを全焼のいけにえとして捧げなさいとの神の命令をも守った。

ヨセフは、神の前に罪を犯さないと決めて、どんな環境の中でも忠実に働いた。


またパウロは最高の伝道者として、毎日神の言葉を伝えていたが、いつも自分自身を戒めていた。


そのことは、Ⅰコリント9:27に書かれている。

ガラテヤ6:14では、十字架以外に尊いものはない。それだけを伝えると言っている。死に至るまで忠実に。


ルカ2:36~37で84歳のやもめアンナは神をつれあいとして、死に至るまで忠実に従った。

世を楽しみながらという考えでは、何事も成就しない。


オリンピックの尊いアスリートのように最後まであきらめないことが、世に勝つ秘訣である。

何か一つでも自分の土台をしっかり守る。


たとえば聖日礼拝の約束のように。
神は私たちの信仰の柱が必要といわれる。

2016.8.21
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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真の弟子パウロの人生目標



テーマは「 真の弟子パウロの人生目標 」です


◎基調聖句 使徒の働き 21章10~15節

◎関連聖句 使徒21:4、ルカ9:51、ヨハネ16:24、ルカ14:26~27、使徒20:22~24、ルカ14:26~27

私たちはこれを聞いて、土地の人たちといっしょになって、パウロに、エルサレムには上らないよう頼んだ。 するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています」と答えた。(使徒21:12~13)

【 要 旨 】

真の弟子は皆、聖霊に満たされていた。

しかし、神の計画であれば、苦しみの道もある。


パウロは苦難の道を上るのが、神の御心と考えていた。

人間的な思いでは、真の人生目標に到達はしない。


使徒21:13には

するとパウロは、あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりではなく、死ぬことさえも覚悟しています。
と引き止めようとする者に答えている。


私たちも人生目標は、イエス様といつまでも共にいることである。

そしてイエス様のあとを親密に歩むことである。


イエス様は、私たちのために命を捧げてくれたのであるから。

ルカ14:26~27にはそのことが、はっきりと書かれている。


パウロは苦しみの中でも神に文句を言わなかったのは、脇道にそれることのない目標を神に置いたからである。

主のために生き、主のために死ねる。

そして永遠の命に生きるという人生に照準を当てている。


私たちも、この世の多くの誘惑から外れて、残り少ない人生を正しく歩みたいものである。

2016.8.14
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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新しい人生を生きるオネシモ



テーマは「 新しい人生を生きるオネシモ 」です


◎基調聖句 ピレモンへの手紙 10~18節

獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。 彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、 役に立つ者となっています。 そのオネシモを、あなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。 私は、彼を私のところにとどめておき、福音のために獄中にいる間、あなたに代わって私のために仕えてもらいたいとも考えましたが、 あなたの同意なしには何一つすまいと思いました。それは、あなたがしてくれる親切は強制されてではなく、自発的でなければいけないからです。(ピレモン10~14)

【 要 旨 】

ピレモンの奴隷であったオネシモは、獄中にいた時にパウロに会った。

そこで、パウロは神の思いで、オネシモを心から悔い改めさせ、魂を救った。

それは、私たちも救い出してくれたのと同じ、羊飼いの心であった。


パウロは相手のことを考える人であったから、オネシモを送り返したことを、ピレモンはとても喜んだ。

神も新しい人生を送っているオネシモをこよなく愛し、喜んだ。


神の求める働き人は心が成長する。

そして、神にも教会にも役立つ。


悪いことをしていたオネシモが、キリストを信じて、新しく生きる者となった。

このことは、我々も見習って、証しすべきである。


神に役立つ者に変えられることを、最大の喜びとしたい。


獄中のオネシモでさえ、見違えるように変えられたのであるから。

2016.8.7
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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形式的な信仰



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◎基調聖句 列王記第二 10章28~31節

◎関連聖句 申命記 12章32節

このようにして、エフーはバアルをイスラエルから根絶やしにした。 ただし、エフーは、イスラエルに罪を犯させたネバテの子ヤロブアムの罪、すなわち、ベテルとダンにあった金の子牛に仕えることをやめようとはしなかった。(Ⅱ列王記10:28~29)

【 要 旨 】

自分の信仰が形式に堕していると思ったなら、御言葉により変えなければならない。

神は悪い者、すなわちアハブを滅ぼすために、エフーに命じて、彼らを絶滅させた。


アハブは歴史上稀なる悪王だったからである。

アハブはバアルの預言を広めていた。


このことで神は、その時はエフーを祝福していたが、彼はヤロブアムの罪から離れなかった。

神は、神に従っているように見えていても、心の中に霊的信仰のない者、すなわち、罪の中に留まるかたくなな心を持ち続ける者を喜ばれない。


適当に生きることは死んだ信仰であり、形式的な信仰と言える。

それは、神に栄光を帰する信仰ではない。


神は申命記12:32で

あなたがたは、わたしがあなたがたに命じるすべてのことを、守り行わなければならない。これにつけ加えてはならない。減らしてはならない。
と命令しておられる。


たとえ、バアルを絶滅させたとしても、自己中心的な思いから、金の子牛などの偶像を拝んでは、元も子もないと言える。


信仰の良し悪しは、良い実を結んでいるかどうかを見ればわかる。


形式的な信仰は悪い実しか結ばない。
出来ません。従えません。などと妥協したり、自分の道を勝手に選ぶ者は、結局は偽善者、形式主義者とされ、神の怒りに触れることになる。


私たちはいつまでも同じ所にとどまっていてはならない。

2016.7.31
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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神を求めた人々



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◎基調聖句 歴代誌第二 31章20~21節

◎関連聖句 詩篇17:1~2、エズラ8:21~23、ピリピ4:6

ヒゼキヤはユダ全国にこのように行い、その神、【主】の目の前に、良いこと、正しいこと、誠実なことを行った。 彼は、彼が始めたすべてのわざにおいて、すなわち、神の宮の奉仕、律法、命令において神に求め、心を尽くして行い、その目的を果たした。(Ⅱ歴代誌31:20~21)

【 要 旨 】

ヒゼキヤは、神の御心を行う、良い王であった。

形だけでなく、心から神を崇め、愛し、常に神に頼って、真実と誠実を尽くし、主の前に生きた。


モーセ、ヨセフ、ヨシュア、ダニエル、ダビデも光の中に誠実に生きた。

そして、ぶれることも、ゆれることもなかった。


神に対しては、心がこもってなくてはならない。

人にするように手抜きをしてはならない。


もったいないという気持ちで忠実に生きることが大切なのである。

それで、ヒゼキヤは15年の命を延ばしてもらえた。


これは、本当に神を恐れて生きた者のみに与えられることである。


ダビデは神を良く知った上で、すべてを神に委ねて、神に適う祈りを行った。


詩篇17:1~2の祈りが、それを如実に物語っている。

復讐は私のすることであるとの神の仰せも守り通した。


エズラは断食をしながら、安全を神に祈った。

世の権力に助けてもらうようなことはしなかった。


神の知恵を認識していて、いつも共におられることを知っていたからである。

神の前へ遜って祈り求めると、神は必ず応じて下さる。


私たちに恥をかかせるようなことは、決してなさらない。

2016.7.24
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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