テーマは「 神の国に入れないならば 」です
◎基調聖句 マタイの福音書 7章21~23節
◎関連聖句 マタイ7:13~14、ローマ10:1~3、ローマ8:10~18、Ⅱサムエル12:1~6、Ⅱ歴代誌16:7~12、エレミヤ6:10
わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。 その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』 しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』(マタイ7:21~23)
【 要 旨 】
わたしに向かって『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7:21)と言われています。
この言葉はあまりにも厳しくて、私たちは不安になることもあります。
しかし、神の国へは多く人は行けないのが実情です。
聖書の知識だけではいけません。
まことの信仰の姿は、十字架を認めることです。
悔い改めて神に従うことです。
良いことを沢山しても、キリストの中へ入っていないなら、クリスチャンとして認められません。
御霊の実は、イエスを信じて疑わないことで、そうするといつも御霊と共に生きられ、神の国に入ることができます。
神の方法で入った人が、救われる人です。
その人が恐ろしい罪から救われて、古い人から新しい人になった人たちです。
その人だけが神の国に入れる数少ない人です。
枝がつながっていなければ御霊の実は結べないとは、このことです。
ダビデは一度罪を犯しましたが、悔い改めて立ち直ることができました。
しかし、ユダの王アサは、神と一つの心が続かなかったので、病に倒されています。
また、預言者エレミヤに対して、主は、エルサレムの残りの者は、耳を閉じたままで聞くこともしないと、嘆いています。
それで、自分の助けだけを求めないで、悔い改めて、生まれ変わりなさいと、諭しています。
悔い改める人のみが、神の国に入れるのです。
2016.6.19
聖日礼拝メッセージ
シャローム松山教会
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