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シャローム松山教会の礼拝メッセージをまとめました。 たくさんの恵みを受けてください!

栄光の主の姿



テーマは「 栄光の主の姿 」です


【ヨハネの黙示録1章12-18節】

そこで私は、私に語りかける声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの金の燭台が見えた。

それらの燭台の真ん中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。

その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。

その足は、炉で精錬されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。

また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

それで私は、この方を見たとき、その足もとに倒れて死者のようになった。しかし彼は右手を私の上に置いてこう言われた。「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、

生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。


今日はイースターです。

復活した主に焦点を合わせてメッセージを伝えます。


主の弟子ヨハネは、3年間も主と一緒だったので、主の姿はよく覚えています。


復活なさった主にもすでに会っていました。


その姿は見慣れた姿で、誰もびっくりしませんでした。

親しみを感じる姿でした。



しかし特別な啓示を与えるために現れたイエス様の姿は、今までとは違う姿で、主を見たとき、その足元に倒れて死者のようになってしまいました。


圧倒的な栄光に満ちた本来の神の姿を見たからです。


威厳と栄光に満ちた姿です。

天におられる主の姿です。



主はご自分のことを このように言われました。


「恐れるな。わたしは、最初であり、最後であり、生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」


死んだこと、そして復活したことを主の口から言われました。

主の姿は弱々しい姿ではなく、威厳に満ちた裁き主の姿です。


足までたれた衣、金の帯、頭と髪の毛は雪のように白く、燃える炎のような目、足はしんちゅうのように光輝いてあり、声は大水の音のようでした。

顔は強く照り輝く太陽のようでした。



王の王、主の主、大祭司の姿、王としての威厳、知恵と聖潔、神的洞察力と公義、裁き主としての栄光と権能と威厳があります。


復活の主は、公義のさばき主として すべてのものをさばきます。


この方の前に立つと、誰もがその栄光と聖さの前で倒れます。


死者の中から最初によみがえられた方、今いまし、昔いまし、後に来られる方、万物の支配者は必ず来られます。


主を迎える準備をしていますか。


2020.4.12
イースター礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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悲しい人の話



テーマは「 悲しい人の話 」です


【マルコの福音書14章64-71節】

あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」すると、彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。

そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ。「言い当ててみろ」などと言ったりし始めた。また、役人たちは、イエスを受け取って、平手で打った。

ペテロが下の庭にいると、大祭司の女中のひとりが来て、

ペテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」

しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って、出口のほうへと出て行った。

すると女中は、ペテロを見て、そばに立っていた人たちに、また、「この人はあの仲間です」と言いだした。

しかし、ペテロは再び打ち消した。しばらくすると、そばに立っていたその人たちが、またペテロに言った。「確かに、あなたはあの仲間だ。ガリラヤ人なのだから。」

しかし、彼はのろいをかけて誓い始め、「私は、あなたがたの話しているその人を知りません」と言った。


イエス・キリストが私たち罪人のために受けた苦しみは相当な苦しみです。


霊的、精神的、肉体的苦しみをすべて受けました。

人間的な目で見ると、イエス様の一生はとても悲しい人生でした。


神が人となって汚れた地に生まれた瞬間から 苦しく悲しい人生が始まりました。


公の場に出てくるまでの30年間も苦労だらけの人生でしたし、公での活動を始めてからはさらに苦しいこと、悲しいこと、霊的戦いが増えました。



救い主として罪人たちを救うために来られましたが、人々はそれに関心がなく、自分たちの個人的な問題だけを解決してもらうために主の所に集まって来ました。


彼らを見る主の心には悲しみ、苦しみ、あわれみがいっぱいあったと思います。


主の心を知る者がいないことも主の悲しみでした。

誰が果たして主の心を知っていたでしょうか。



悲しみの主の姿がこのように預言されてありました。


【イザヤ書53章2-3節】

彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。

イエス様の姿はその通りの姿でした。


うわべを見る人の目はイエス様に満足しませんでした。

ですから慕うことも尊ぶこともなく、さげすみ、のけ者にしました。

イエス様に対する人々の冷たい仕打ちは ますますひどくなっていきました。



それを煽る者は宗教指導者たちでした。

これがさらに主の悲しみになりました。


悪が正義に勝つ世界、罪人が義人を裁く世界、人間が神を踏みにじり裁く世界を見る主の心は悲しみにあふれていたと思います。



無罪なのに死刑にされ、汚れた悪人たちからつばきをかけられ、なぐられ、平手で打たれ、愛する弟子たちは自分のことをのろいながら「知らない」と言い切る姿を見て、主の悲しい心はつぶれそうになったと思います。


怒りが頂点に達すると頭が爆発しそうになりますが、悲しみが頂点に達すると心がつぶれそうになります。


主は怒りではなく、悲しみで心がつぶれそうになったと思います。

ですから主の事を悲しみの人と言われました。


主はご自身の事よりは、人間の罪深い姿が一番悲しかったと思います。


【エペソ4章30節】

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。

2020.4.5
聖日礼拝メッセージ

シャローム松山教会


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